チェコの歴史 近世

ここからはチェコの近世の歴史について紹介をしたいと思います。
チェコは中世に宗教動乱が始まったことによって、

ボヘミア王国の国力は著しく低下し、1526年にハプスブルク家が国王に即位しました。
チェコはこれによりハプスブルク帝国の属国となったのです。
それから50年ほど経過した1575年、神聖ローマ帝国の皇帝であったルドルフ2世がボヘミア国王に即位したのですが、このルドルフ2世は近世のチェコの歴史で最も重要な国王だったといわれています。
ルドルフ2世が在位をしていた時代に、再びチェコの首都であったプラハはヨーロッパの中でも大都市となり非常に発展したのです。
ですがルドルフ2世が死去した1612年以降、ボヘミアの職人達によるハプスブルク家への反乱が起き、ヨーロッパ全土は30年戦争といわれる長い戦争状態となりました。
またこれによってボヘミアではカトリック信者に強制的にさせられるようになりました。
このカトリック教への強制は肯定ヨゼフ2世が改革を行うまでの1781年まで続いたのです。
そして19世紀はじめに民族復興の動きが見られるようになり、民族復興の中心者であるカレル・ハヴリーチェク・ボロフスキーやヨゼフ・ユングマン、フランチシェク・バラツキーなどによって現代のチェコ語が制定されることになりました。
チェコの近世の歴史をみてみると、この頃に現代のチェコが形成されるようになったといっても過言ではありません。

月曜日, 8月 2nd, 2010 海外 コメントは受け付けていません。

チェコの歴史 始まり

ここからはチェコの歴史について紹介したいと思います。
まずはチェコの歴史の中からチェコの始まりについて紹介したいと

思います。
チェコの始まりは、西暦630年ごろから始まったといわれており、多くのスラブ人が興したサーモ帝国が国としての始まりだといわれています。
そしてスラブ民族圏として発展し、大モラヴィア帝国に代わります。
この大モラヴィア帝国時代である西暦863年ごろに宣教師であるメトディオスとキュリロスという兄弟が訪れ、スラブ人の使う言語が古スラブ語となりました。
この古スラブ語とは礼拝や聖書で使われる言語となっており、この頃からチェコでカトリック教が広まるようになったのです。
なお大モラヴィア帝国は1090年ごろに滅亡し、次にボヘミア国に国名が変更され、新しい国家となりました。
ボヘミア国を興した国王はポジペイという国王で、西暦874年から891年でチェコ全土を制覇しました。
ポジペイはプシェミスル家という名家の生まれとなっており、生粋のカトリック教徒です。
ポジペイは特にボヘミアにおいてキリスト教を広め、さらにチェコではカトリック信者が増えることになりました。
それに応じてボヘミア地域で初めて教会が建立され、現在のロストキ・ウ・ブラヒ地域でも始めてのキリスト教会が建立されることになったのです。
またキリスト教以外の宗教の生贄の場所でもあった場所に聖母マリアの教会も建立するほど、キリスト教に力を入れていたのがボヘミア国の特徴となっています。

土曜日, 7月 17th, 2010 海外 コメントは受け付けていません。

チェコの風土

チェコの風土について紹介したいと思います。
チェコはヨーロッパの中部にあり、

正式の国名はチェコ共和国といいます。
以前はチェコスロバキア連邦共和国という国名だったのですが1993年に独立をしたことによって、国名をチェコ共和国に変更しました。
共和制の国となっており、南にはオーストリア、北にはポーランドやドイツがあり内陸国という国の位置となっています。
チェコ共和国での言語はチェコスロバキア語となっており、内陸国ということもあり独自の文化と風土が発達しています。
産業では鉄や石炭などといった資源があることから、ガラスや自動車などといった工業が産業の主力となっています。
首都はプラハとなっているのですが、このプラハはローマ帝国の首都だったことから、チェコではカトリック教を信じている人が非常に多いです。
チェコの風土は他のヨーロッパ諸国同様、レンガ造りの古い建造物が多いのが特徴となっており、世界遺産もあることから多くの観光客が訪れている国となっています。

火曜日, 6月 8th, 2010 海外 コメントは受け付けていません。

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